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理事長と入居者様による対談の様子


【百々山(どどやま)にはかつてから人が住んでいた~!!】
天竜厚生会発祥の丘陵地一体は、百々山(どどやま)と呼ばれていました。戦後復興に向け、天竜厚生会は昭和25年に結核後保護施設として生まれ、今年72年目を迎えました。かつてこの地はどのような姿だったのでしょうか。
先日、理事長と百々山(どどやま)時代を知るケアハウス入居者の鈴木さんとによる対談を行いました。その際、鈴木さんが作成された昭和25~30年頃を思い出しながら細かに描かれたマップや色鮮やかな風景画、その他様々な思い入れのある写真等をみせていただきながら、お話を伺いました。
マップの中には、民家があり、畑や柿園にて作物を栽培していた様子が描かれていました。私たち職員は当法人の創設当時はアカマツ林が広がる原野(国有地・県有地)だと聞いていたため、法人創設時、それ以前よりこの地に人が住み生活を営んでいたことに大変驚きました。また、マップには「遺跡?」と描かれた箇所もあり、相当前からこの地で人々の生活があったのかと想像すると感慨深いものがあります。
鈴木さんにマップや風景画等を改めて見たお気持ちを伺うと、「今となって思い返すと感じることがたくさんある。何もないところからつくりあげることは大変だったと思うが、その時その場にいることができたことは大きい」とお話がありました。創設当時に民家・畑があったものの多くはアカマツ林や荒野であったこの地を現在の天竜厚生会にまで創り上げた先人たちの熱い心に改めて感心しました。
鈴木さんには2度にわたり、貴重なお話しを伺いこの場を借りてお礼申し上げます。
鈴木さんよりいただいたマップや風景画等は、天竜厚生会研修センター2階の資料館にて閲覧いただけます!是非、足を運んでみて下さい。

左:鈴木さん、真ん中:山下施設長、右:理事長

昭和25~30年頃のマップ

昭和25~30年後の風景画(給水タンク)

昭和25~30年後の風景画(鉄塔)

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